台風が近づいていました。雨はいっこうに止む様子がないし、空は鈍色で風もけっこう強い。こんな日に行くのはちょっと嫌だなと思ったのですが、小田原で在来線に乗り換え根府川という駅で送迎バスに乗り、駐車場からゆるやかな坂を歩き『明月門』の前に立った瞬間に 。
ここは、普通の場所じゃない。
目の前には、想像を超えたスケールが広がっていました。
受付にいらした方が、「雨の日は石の風情がいいと杉本は申しております」とおっしゃり、足元の濡れた石を眺めてみると、ぬめぬめと美しい風情を湛えている。今日は雨という状況そのものも楽しんでみよう、そんな気持ちになりました。
まずは、待合棟の目の前にあるギャラリーへと向かいます。長さは100メートル。海抜100メートル地点に建つそうです。入口から向かって右は大谷石の壁、左はガラス。驚くことに柱が一切ない建築なのです。しかも、先端の12メートルはそのまま海に向かって突き出ている。壁面には、杉本さんの代表作「海景」が展示されていました。こんな意表を突く設計のギャラリーを見たことがありません。『夏至光遥拝100メートルギャラリー』と名づけられ、夏至の朝には、海から昇る太陽光がこの空間を数分間に渡って駆け抜けるよう設計されています。
ギャラリーを出て斜めに歩くと、円形の『石舞台』がありました。中央にあるのは大名屋敷で大燈籠を据えていた伽藍石。周囲には京都市電の敷石を放射状に擦り合せ周りには江戸城の石垣のために切り出された巨石が並びます。その奥にはコールテン鋼を持ち込み溶接しながら造ったという『冬至光遥拝隧道』。こちらは、冬至の朝、相模湾から昇る陽光が70メートルの隧道を貫き、石舞台の巨石を照らし出すよう計算されています。
その先を進んでいくと、手前に『十三重の塔』、奥には法隆寺にあるような版築の塀と門が現れます。
さらに進むと鉄の灯籠や鉄宝塔、その向こうには国宝待庵を本歌取りしたという茶室『雨聴天』が。躙口の手前には日本最古といわれている石鳥居の形式に準じて組み立てられた石造りの鳥居があり、春分秋分には陽光が日の出とともに躙口から床に差し込むよう設計されています。その下に敷かれている踏込石はもともとは石棺の蓋で、どうやら古墳時代のものらしい。
なんだか、アタマがくらくらしてきました。
古墳時代に飛鳥時代、白鳳、天平・・・平安、鎌倉、室町、桃山、江戸、明治、昭和・・・。ありとあらゆる時代の遺物が、ここには息づいているのです。
悠久の昔、古代の人たちがまずしたことは天空のうちにある自身の場を確認する作業だったそうです。新たなる命が再生される冬至、重要な折り返し点の夏至、通過点である春分と秋分。節目となる節気の光を取り込むよう計算された建築群の中に佇み、ありとあらゆる時代と交信しつつ、天を見上げ、目の前の海を眺め、自分が何者なのか、自分は今いったいどこににいるのか、ここは、そんなことを否応なしに考えさせられる場なのでした。
茶室から来た道を引き返し、ギャラリーの反対側を海に向かって歩いていくと天の岩戸伝説にインスピレーションを得たという『石舞台』が現れます。能舞台の寸法を基本にしているので巨石を使った橋掛かりもあり、ここも、石橋の軸線は春分秋分の朝日が相模湾から登る軸線に合わせて設定されています。
その先には『光学硝子舞台』と古代ローマ円形劇場写しの観客席が。隧道と並行に、冬至の軸線に沿って、檜の懸造りの上に光学硝子が敷き詰められています。扇状になった観客席に佇んで、ここで能が演じられている情景を想像してみました。
冬至の朝。
光学硝子に陽の光が乱反射し、能装束がきらめいて。ときおり、海からの風が硝子の上を舞う。生と死をを行きつ戻りつする夢幻能を演じるのにこれほどふさわしい場所もないのかもしれません。
舞台のその先には相模湾の海景が広がっています。空と雲と海のあわいが雨でにじんだ薄墨色のグラデーション。雨だからこそ出逢うことのできた美しい情景でした。そして、遮るものがなにもない海を眺めていると、この自然だけはなにも変わっていない、古代の人たちもこの海をきっと眺めたに違いないということを実感できました。
杉本さんはここを一万年後にも残る施設として造ったと聞きました。気が遠くなるような時間軸を設定し、地理学や天文学、歴史への深い知識と洞察、日本の伝統建築によせる愛情、日本文化の技術への畏敬、そして趣味人として卓越した感覚で蒐集したすべてを、綿密かつ巧妙な計算をもって広大な土地に設置した江之浦測候所。その世界観の大きさ、果てしなさに圧倒されつつも、古代の人たちのふるまいを想像してみるという気持ちが私の中にも芽生えていました。
彼らはこの海景を見ながら何を考えていたのでしょうか。
写真/前田晃(maettico)
◎今日のコーディネイト◎
一気に寒くなりましたね。心地よい秋の風情をもっと楽しみたかったなと少々残念ですが、これからはコートのおしゃれが楽しくなる季節。この時期お気に入りのマルニのコートを着てきました(雨だったのが残念でしたが・・・)。白いステッチを効かせたネイビーのウール素材で、羽織るように着こなします。ワンピースはマルニの新作で、後ろから見るとシャツを前後ろ反対に着ているような面白いデザインです。アンクルブーツは、マルタン・マルジェラのTabi。本当に足袋のように親指と他の指が分かれたデザインなので、ヒールがあっても足の指が地面をぐっと掴む感じで履きやすいんです。
ブラック&ネイビー。やっぱり好きなんですね、こういう色の組み合わせ。
◎小田原文化財団 江之浦測候所◎
光学硝子舞台 © 小田原文化財団 / Odawara Art Foundation
場所は小田原と熱海のちょうど中間に位置する神奈川県江之浦。現代美術家として世界中で高い評価を受けている杉本博司さんが10年の構想を経て完成させました。一万坪を超える敷地には、長さが100メートルあるギャラリー、能舞台の寸法を基本とした石舞台や巨大な光学ガラスを舞台の床板に用いた光学硝子舞台、国宝待庵を本歌取りした茶室、庭園や門などの施設が点在しています。それぞれの施設は、日本建築史を通観するものとして機能し、継承が困難になりつつある伝統工法を再現し、将来に伝えるという使命も有するという、古典と現代の建築様式と文化、思想が交錯するまさに壮大なアートプロジェクトです。
住所:神奈川県小田原市江之浦362-1
時間:完全予約・入替制
小田原文化財団ウェブサイトにて予約受付
<2月~10月>
1日3回/10:00~13:00~16:00~
<11月~3月>
1日2回/10:00~13:00~
休館日:水曜日、年末年始および臨時休館日
2018年2月より、火・水曜日休館
入館料:3,000円
TEL. 0465(42)9170
※施設内の特性と安全性を考慮し、中学生未満は入館不可
※詳しくはホームページをご覧ください。