東銀座にある歌舞伎座の二階の客席への入口に、迫力のある胸像が飾られています。九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次、七代目松本幸四郎。「團菊左時代」を築いた明治時代の名役者たち。この胸像を作ったのが朝倉文夫という人であると知ってから、谷中にある住居兼アトリエをいつかは訪ねたいと思っていました。
朝倉彫塑館へ行くには、山手線の日暮里駅で降ります。谷中銀座への入口となる西口からてくてく歩いて3分ほど。道の左側に看板が出ているのですぐわかります。
エントランスは、芸術家のアトリエといった威風堂々とした佇まい。玄関で靴を脱ぎ、最初に入るのが天井の高さが8.5メートルもある展示室。朝倉文夫はここをアトリエとしてだけでなく、若い門下生を指導する場としても活用しました。鉄筋コンクリート造りの壁にはあたたかみを出すため、淡茶色に染めた真綿を張っているそうです。アトリエ入口正面に置かれているのが代表作の「墓守」、左側には本当の番犬のように立っている「スター」。このスター、第一号警察犬として活躍したグレートデンだそうで奥にも、臥せをしたスターのブロンズ作品がありました。
犬好きとしては、とてもリアルなスター君にまずはご挨拶。その奥には、大きな「小村寿太郎像」。これ、実物の何倍あるのでしょう。大きさに驚きます。一体どうやってつくったのだろうとあれこれ想像しつつ「大隈重信像」や美しい裸婦像などが置かれた静謐な空間そのものも楽しみます。
アトリエの隣は本が天井までぎっしり並ぶ圧巻の書斎。洋書のほとんどは東京美術学校の恩師であった岩村透氏の蔵書。恩師の没後、その蔵書が古書店に出ていると聞いた朝倉文夫は恩師が苦労して集めた本が散逸するのをなんとかして守りたいと思い自分の家を抵当に入れ、まとまったお金を用意し、恩師の蔵書を買い戻したといいます。だから、ここにあるのは日本の近代美術を語る上で欠くことのできない資料なのだそう。ジンとするいい話ですね。
書斎には、蘭を育てるのが趣味だった朝倉文夫が集めた陶器の鉢植えや奥様のために買い求めた油壷などのコレクションも飾られており、朝倉文夫の目利きとしてのセンスにも瞠目します。
書斎から奥に入ると南北約10メートル、東西約14メートルの中庭をぐるりと囲んだ数寄屋造りの住まいが現れます。エントランスのちょうど正反対側には本来の朝倉家の玄関と門。こちらはアトリエ側とはうってかわってきわめて日本風の佇まい。和と洋。合理的なものと情緒的なもの。相反するものをひとつに融合させる。ああいいなあ、こんなお家に住んでみたい・・・
朝倉文夫の自室だった空間には神代杉の舟底天井、胡麻竹を四角く細工した障子の桟、煎茶の道具入れなど、細かなディテールへのこだわりと遊び心が見て取れます。(最後の写真は朝陽の間の天井。神代杉に杉の裏張りを施しています)
障子を開け放った和室に座って、庭に降り注ぐ日差しを楽しみます。庭の梅がもう少しでほころびそう。都内にこんな気持ちのよい場所があるなんて。学芸員の方のお話では、訪れる人はよくこの庭をながめながら思い思いにくつろいで、この場所にいることを楽しまれているのだそうです。二階の和室も、エントランスの三階部分にあたる朝陽の間もそれぞれ意匠を凝らした調度と、すみずみまでの造作へのこだわりがあって本当にこの空間にいることそのものが贅沢な時間だなと感じます。
朝陽の間から今度はいったんアトリエの二階のテラスに出て、階段をとんとん上がって屋上へと向かいます。ここは植物の世話を通して土に親しみ、自然観照の目を育むことを目的に、朝倉彫塑塾の園芸実習に使われていた場なのだそう。今は大きなオリーブの木が育ち、四季咲きのバラもあり、隅っこには野菜を育てている菜園もありました。お天気がとてもいいので、スカイツイリーがくっきりと見え、彫像が気持ちよさそうに青空を仰いでいました。
最後に入った部屋は蘭の間。蘭を育てるのが趣味でもあった朝倉文夫がここを温室としていたのだそうで現在は、猫の作品を展示する部屋になっています。
実は、この部屋にいちばん来たかったのです。猫好きとしては朝倉文夫の猫を観てみたかった。書斎の隣の部屋には、猫の骨格標本が置いてあり、彫刻家にとって骨格を正確に知ることは基本でもあり、また実際に多くの猫を飼っていたからこそよりリアリティのある背骨の表情や、愛猫家でないととらえられないような猫の一瞬の仕草を表現できたのだろうなと思いました。ブロンズという素材なのに、どの猫も生き生きとして今にも動き出しそうな躍動感にあふれていて、ずーっと眺めていても飽きませんでした。
先月の読書会で、藤田嗣治の『猫の本』を紹介しましたが、彫刻という三次元で観る猫はまた格別。犬猫好きの私は、犬や猫を創作のモチーフにしているアートを好んで観る機会が多いのですが、今回の朝倉彫塑館への訪問は彫刻や彫塑への新たな興味をかきたててくれました。
それにしても、朝倉さんの猫、ほんとうにリアルです。
一匹お家に連れて帰りたいな・・・。
写真/前田晃(maettico)
◎今日のコーディネイト◎
メンズライクなストライプ柄のワンピース。これ近くで見るとグレー地に細かく赤やブルーが入った私好みの生地なんです。袖は軽く広がっていて、裾は切りっぱなしの始末。裏地もコットン使いというカジュアルさで、リボンと革が一緒になったベルトまでついてたマルタン・マルジェラらしいテイストが気に入っています。これに合わせたのが、ピエール・アルディのレースアップシューズ。エンジと黒がスパッと斜めに切り替えられたコンビネーションが明快で、このワンピースとのコーディネートにぴったりだなと思って合わせました。
◎朝倉彫塑館◎
朝倉彫塑館は、明治・大正・昭和にわたって活躍した彫刻家 朝倉文夫のアトリエと住居だった建物です。朝倉は東京美術学校を卒業した1907(明治40)年、24歳の時にここ谷中の地にアトリエと住居を構えました。当初は小さなものでしたが、その後増改築を繰り返し、現在の建物は1935(昭和10)年に完成しました。建物は朝倉が自ら設計し、細部に至るまで様々な工夫を凝らしており、こだわりを感じさせます。
朝倉はここを「朝倉彫塑塾」と命名し、教場として広く門戸を開放して弟子を育成しました。1967(昭和42)年に故人の遺志により自宅を朝倉彫塑館として公開、その後、1986(昭和61)年に台東区に移管され、台東区立朝倉彫塑館となりました。
その後、2001(平成13)年に建物が国の有形文化財に登録され、2008(平成20)年には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました。
2009(平成21)年から2013(平成25)年にかけて保存修復工事を行い、耐震補強を施し、朝倉生前の姿に近づけて文化財的な価値を高めています。
朝倉彫塑館
〒110-0001
東京都台東区谷中7丁目18番10号
TEL 03-3821-4549
◎開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
◎休館日 月・木曜日(祝日と重なる場合は翌日)・年末年始
※展示替え等のため臨時休館することがございます。
◎入館料 一般500円
※ご入館の際は靴下をご用意ください。
※詳しくはホームページをご覧ください。