普段のおしゃれに着物という選択肢が加わると、
呉服屋さんに行くのが楽しみのひとつになります。
単衣の季節が来るので、何か誂えようと呉服屋さんへ行ったときのこと。
すすめられた着物がいまひとつピンと来なくって、
買おうかどうしようか迷っていました。
そのとき、ふと思い出したのが新幹線の中で読んだ雑誌に
載っていた小倉織の作家・築城則子さんの記事でした。
きっぱりと潔い独特の縞の印象がずーっと心に残っていて、
呉服屋さんに、「築城さんの帯はないの?」と尋ねてみたところ
即座にありますよという返事が帰ってきました。
何本かあった築城さんの帯の一本を迷っていた着物の上に置いたところ、
たちまち着物が見違えるように生き生きとし始めたのです。
帯合わせの不思議、とでも言うのでしょうか。
着物と帯が、まるで磁石のように引き合って
互いの魅力を引き立てている。
その瞬間に、着物も帯も好みのものになり
両方とも私の手もとに来ることになったのです。
さほどに築城則子さんの縞の帯には不思議な力がありました。
その後、呉服屋さんで築城則子さんの展示会があることを知り、
さっそくその縞の帯を締めて出かけました。
少しだけお話することができ、
ご縁がつながって今回工房をお訪ねする機会をいただきました。
北九州市八幡東区。
のどかな里山のさらに奥まったところに、
築城則子さんが主宰する遊生(ゆう)染織工房があります。
伺った日は、とてもいいお天気で
眩しいほどの新緑が目に飛び込んできました。
工房のすぐ裏手にある梅宮神社の前でお話を伺いました。
築城
この辺は梅の里で、梅田さんというお名前の方がたくさん住んでいる場所なんです。神社も、梅宮神社と言って。後ろにある梅の木は染料になります。
黒田
梅が採れるから梅宮神社・笑。梅の木からはどんな色が染まるのですか?
築城
この時期はね、もう花が終わっているから、ベージュ色にしか染まらないの。
黒田
え、梅の色にならないのですか?
築城
花が咲く前だときれいなピンク色に染まるんだけど、咲いた後でいくら染めても花の色にはならないの。植物は花のために色素を持っているということで、花が咲いたときには色を使い果たしているんですね。だから、どの時期の枝で染めるかで色はまったく変わります。
黒田
そうか、植物って幹や枝に花の色を蓄えているんですね。枝はどうやって染めるのですか?
築城
これ、10センチくらいに切って、お鍋で煮出します。梅の木ってときどき切ってやると、実が豊かにつくので、毎年切って染料にしています。さ、縁側からどうぞ、おあがりになって。
今ちょうど梅や桜で染めた糸で、次の作品を織り始めたところなんです。
黒田
わあ、きれいなグラデーション。同じようなピンクに見えても、目を凝らすと全部、微妙に糸の色が違うんですね。それぞれ染めるタイミングが違うってことですか。
築城
基本はその季節取れる染料で染めるんですが、私にとって糸は絵の具と同じなので、染められるときにたくさん染めてストックしておきます。色をいっぱい用意して微妙なグラデーションを作っていかないと、小倉織ならではの立体感が出ないので。
黒田
立体感の秘密は糸ですか。同系色を並べていくことで立体感を出すわけですね。それにしても、このグラデーションの素敵なこと。
築城
これ、緯糸はグレーなんですが、まったく見えないでしょう。織っても、経糸のグラデーションがそのまま出るのが小倉織の特徴なんです。
黒田
本当だ。織り上がっても、この張っている経糸の見え方と同じですね。でも、色の配列が大変ですね。
築城
ええ、配列を事前に計算して経糸をそろえるのを整経というのですが、これが小倉織のクオリティを決定づける大事な作業なんです。絵の具である糸の色を充実させ、絶妙な中間色などもたくさん揃えた上で、作品のイメージを色鉛筆でスケッチしつつ、色の配列を考えます。経糸の色で最終形が決まるんです。
黒田
小倉織ってタテの世界なんですね。もともと縞がお好きだったのですか。そもそも、大学で演劇を研究されていたんですよね。
築城
世阿弥を研究するはずだったのに、能装束に惹かれたんですね。ものすごくいろんな色が入っているのに全部が完全にコントロールされていて、なんでこんな美しいものがあるんだろうと思って。で、染織がやりたくなったんです。そうしたら、いてもたってもいられなくなって、学校をやめこの道に入りました。最初は、久米島で紬を織る勉強をして、それで小倉に戻ってきて紬を織っていたのですが、経糸だけだとすっきりするのに、どうして緯糸が入るとぼやけるんだろうとずーっと悩んでいました。
黒田
普通の織物は経糸と緯糸の組み合わせで完成しますものね。
築城
染織家の人たちの中には緯糸で表現するのがお好きな方がたくさんいらっしゃるけど、私はとにかくタテに伸びる表現が好きだったんです。そう思っていたときに、この裂に出会って。これ、昔の小倉織で、偶然骨董屋さんで見つけたんですが、すごく縞がくっきりしているでしょう。
黒田
わあ、綺麗。手触りもなめらかですねえ。
築城
木綿なのに絹のような光沢があって、なめし革みたいでしょう。これ、何?何でこんなに縞がくっきりしているの?しかも緯糸は黒なんですよ。なのに、経糸の縞しか表面には見えない。糸の密度がすごいんです。で、工業試験場に組織を調べてもらったんです。
黒田
くっきり縞の秘密を探ったのですね。そうしたら?
築城
経糸2、緯糸1の比率で織っていることがわかりました。だけど同じように織っても同じ質感にはならない。ひとつは、この裂がそうとう使い込まれていて経年変化でなめらかになっていることもありました。で、もっと経糸を細くして3対1にすることで、近づけたんです。完成したのが、私が理想とする緯糸と混じらない経糸の世界。小倉織はそのためにあったんです。
黒田
運命の裂に出会って、運命の小倉織が復活した。素敵なお話だし、先生、そんなものに出会えて幸せですね。
築城
復活というよりは再生しているという感覚かしら。江戸時代から明治までは、こんなに細い糸は使っていなかったのですが、表現はその時代の人がするというのが大事だと思っていますから。
黒田
先生は小倉縮という着物も復活されたのでしょう。
築城
この土地には槍をも通さぬ質実剛健な小倉織と、かそけき夏の薄物である小倉縮と、対極にある織物があるんですよ。その両方の再生に携われているのは本当に幸せですねえ。幸い、弟子も育ってくれていて、今回日本伝統工芸染織展に若手が三人も入選したのはうれしいことです。
黒田
こんなに緻密なものを作り上げるだけでも大変なのに、その上お弟子さんも育てられているなんて素晴らしいですね。
築城
小倉織は一度途絶えているでしょ。だから続けていくことが大事なんです。みんなよく勉強してくれて・・・できることなら、やってくれる人がどんどん増え、つながっていってほしいと思います。
◎写真/中村泰
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